2012年06月17日

5月20日 いのちの流れの発見

いのちの流れの発見
ヨハネによる福音書 7章32-39節

7:32ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。7:33そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。7:34あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」7:35すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。7:36『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」7:37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。7:38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」7:39イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

祭りの最高潮の時、だれが<渇いて>いるのでしょうか。 人間の罪というのは「渇いて
いる者はだれでもわたしのところに来るがよい」と言われる主イエスの言葉を殺すことに
よって明確になるのではないでしょうか。
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5月13日 勇気を出して生きられる

勇気を出して生きられる
ヨハネによる福音書 16章25-33節

16:25「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。16:26その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。16:27父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。16:28わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」16:29弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。16:30あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」16:31イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。16:32だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。16:33これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

先週の日課に引き続き弟子達が苦難に出会うことがイェスによって語られています。イェスが示される神はただ甘やかす神では在りません。お願いしたからと言って受けるべき苦難を回避してくれることはありません。苦難のときに共にいてくださる存在です。神頼みだけではダメなのです。神を信じ、より頼み(自らも努力した上で)精一杯生きていくことが必要なのです。結構しんどいですよね。でも「私のもとに来なさい、休ませてあげよう」といってくれたイェスの言葉を信じ、疲れるくらい頑張ってみようかな・・・。
                                   (BY Deacon I.N.)
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5月6日 証しする群れ

証しする群れ
ヨハネによる福音書 15章18-27節

15:18「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。15:19あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。15:20『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。15:21しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。15:22わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。15:23わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。15:24だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。15:25しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。15:26わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

教会がこの世に存在する意義とは何か、と問われたらどう答えますか。教会は礼拝する所であり、宣教の拠点となるところです。そこに集う人は神を礼拝し、宣教の業を行わなければなりません。イェスは神の言葉を述べ伝え、弟子たちはそのイェスを証しする。それはイェスが弟子たちを選ばれた時にすでに決定付けられたことなのです。しかし、当時の世界はイェスを受け入れなかった。当然弟子たちも受け入れられずに多くの苦難に遭遇します。しかし、その弟子達から始まる多くの先達たちにより、今イェスの業は多くの人の信仰を集めています。(イェスの知名度で言えば、世界中の殆どの人が知っていると言っても言えるくらいです)しかし、今の時代が当時のユダヤの国と比べて神の支配が満ちているかと言われれば疑問符が浮かんできます。わたしたちは今何を伝えていくべきなのか。イェスが行った業を今一度思い起こす時としたい。
                                  (BY Deacon I.N.)
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4月29日 わたしに従いなさい

わたしに従いなさい
ヨハネによる福音書 21章15-25節

21:15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。21:16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。21:17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。21:18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」21:19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。 21:20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21:21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。21:22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」21:23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。21:24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。21:25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

ヨハネによる福音書は、やはり他の福音書とは一味違う。他の福音書は普通にイェスの昇天、弟子たちの宣教のスタートで終わっています。ヨハネによる福音書ではその筆者がイェスに愛された弟子であり、書かれている内容は真実であり、もっともっとイェスのなさったことは沢山あるよということで終わっています。文面からも近しい人への報告みたいな感じです。まぁ、福音書は多くの人にイェスのことを知ってもらおうという思いで書かれたのですから、最後にもっといろんなことをしていたんだよ、と書いてあったほうが多くの人の興味を引けるということもあるかもしれません。
聖書は多くの記事を集めて成立しています。現在の聖書がどのような課程を経て編集されたかをしっかりととらえて、何を伝えようとしているかをしっかりと感じ取りたい。
                               (BY Deacon I.N.)
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