2010年12月26日

12月26日 主の恵みの年を告げる

主の恵みの年を告げる
イザヤ書 61章1〜11節

預言者イザヤは、祖国の破滅の只中で、神が、救いと解放の訪れの知らせを、自分の口を通して語られる、という召命を担い、希望のことばを同胞に語り続けた。*初代の教会は、この預言者のことばの中に、暗い時代の只中に、神の国の福音をもたらしたキリストの誕生の徴を見出し、神の救いの約束に信頼を置いた。*苦しみと痛みの只中にも、神の恵みを数える希望を飼葉桶の中に見出そう。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

12月19日 愛は正義、愛は真実

愛は正義、愛は真実
イザヤ書 11章1〜11節

第四の蝋燭(ろうそく)は「愛」。アドベントの歩みを導く様々なシンボルは、おそらくこのひと言に集約されるだろう。「愛」は全てを結ぶ絆、と使徒パウロも言うように、「神の愛」という抽象的な概念は、神の子の受肉=イエスの誕生によって、私たちの目に具体的な徴(しるし)として示され、私たちの渇きと飢えを満たす。*「愛」。それは私たちに、不可能を可能にする力を与える。まだ見ないもの、手にしないものを信じ、希望を持って待つ、忍耐を与える。*預言者の描くユートピアを、私たちは今朝、神の愛の徴として望み見るよう招かれる。闇の只中で、神の愛は遂に勝利し、実現するという幻を、忍耐強く待ち、希望をもってその到来を告げ知らせる群れとなろう。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする

2010年12月12日

12月12日 喜び叫べ、喜び踊れ

喜び叫べ、喜び踊れ
ゼファニア書 3章14節〜18節

ゼファニアは、イザヤの活動期と重なって、ヨシア王の幼少期に活躍した預言者だ。ヨシア王は成人して預言者イザヤと共に、後に「申命記改革」と呼ばれる信仰覚醒運動に力を注ぐ王だが、その幼少期、未だ政治の実権を持ち得ない時代にはイスラエルの人々の信仰生活は将に神に背く「罪人」のそれであった。*ゼファニアは、国際政治の舞台で混迷を極める国運を目の当たりにしつつ、尚、唯一の神に立ち返り聴き従う道を選ぼうとしない民に厳しい裁きの警告を発しつつ、しかしその「裁きと怒りの神」が同時に、最も慈(いつく)しみ深く、イスラエルのために、勝利を勝ち取る方であることを告げる。*ヘンデルは、この預言を、オラトリオ「メサイア」の中ではアルトのソロで歌わせている。アルトの声は、慈愛と受容、深い安らぎを象徴するといわれる。神の裁きの前に謙虚に跪(ひざまづ)くことができる「砕かれた心」こそ、神の慈愛の中で安らぎの喜びを得る。

posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする

2010年12月05日

12月5日 魂を生かす祝宴

魂を生かす祝宴
イザヤ書 55章1〜11節

腹をすかせているもの、喉の渇いているもので自分のもとにくるものには、誰でも!対価を要求することなく充分にその必要を満たす豊穣・寛容な神の招きの声をイザヤは取次ぐ。*誰でも、正義と公平の神の声に聞き従い、その「道」を知って導きの内に歩もうとするものには必ず、体にも魂にもみずみずしい命を与えないではおかない神が、約束と招きの「みことば」として私たちに臨まれる。私たちはこの「みことば」に傾聴し、この「みことば」を食べることによって豊かな命を得ることを赦されている。*「みことば」が肉体となって私たちの只中に今年も来られる。その「みことば」こそ、私たちのために天から降ってくる命のパンなのだ。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。