2011年01月30日

1月30日 喪失の向こう側

喪失の向こう側
ルカによる福音書 21章1〜9節

ガリラヤからやって来たイエスの仲間たちは、都の中央にそびえる神殿にすっかり心を奪われる。ヘロデがその贅を尽くして改装・増築を施したイエスの時代の神殿は、ローマの建築技術を駆使して凝ったアーチや回廊をめぐらし、金や貴石をふんだんに使った絢爛豪華(けんらんごうか)なものだったという。*だが、イエスはこの壮麗な建造物も、その土台の後に一つの石さえ残らないほどに破壊されると、言う。全ては失われるのだ。*何もかも失った独りの女性が、その壮麗な神殿の賽銭箱に僅かな捧げ物をする。とるに足りないと見えるその捧げ物を、イエスはしかし、神の目には最も価値ある捧げ物であると言う。*地上の富の象徴とも言える神殿はやがて失われ、しかしその神殿で捧げられた、名も記録されなかった女性の銅貨二枚の捧げものは歴史を超えて記憶された。*失うことの向こう側で、神が喜んで受け取り記憶してくださる、そう信じて、私たちは、どんなときも、自身の最も良いものを、真心を込めて捧げたい。
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2011年01月23日

1月23日 旅立ち〜別れと出会い〜

旅立ち〜別れと出会い〜
ルカによる福音書 4章16〜30節

イエスの宣教は故郷ガリラヤから始まる。安息日の会堂、小さいころからよく見知った人々の只中で、一人のラビ=説教者として第一声を発するイエスの手にはイザヤの巻物があった。*イエスの時代、イザヤの預言するメシア(救世主)を求める人々の熱心は非常に高まっていた。ローマ帝国の政治的・経済的な圧迫からの解放を願い、神殿を中心としたユダヤの宗教的権威に反発する機運はガリラヤ地方では殊に大きかった。そうした緊張の只中で、イザヤの預言がイエスによって読み上げられ、解き明かされるとき、それを聞く人々は、その語りかけに耳を傾け受け容れるのか、拒否するのかを厳しく問われる。*預言者の語りは、預言者自身と共に、そのことばを受け取る私たちをも「旅立ち」へと押し出す。
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2011年01月09日

1月9日 み心に適う者

み心に適う者
ルカによる福音書 3章15〜22節

「神の子」が、悔い改めのバプテスマを受ける、とはどういうことだろうか。*巷(ちまた)の波にもまれ、様々な柵のなかに喘(あえ)ぐ「罪にまみれた」私たちと同じ、身体の運命を分かち合う存在としてみ子はこの地上にこられた。今、イエスは私たちのこの世の手かせ足かせを全て背負ったまま、生まれながらに与えられた「神の子」としての生涯を、自ら選び取る。イエスの洗礼を通して、私たちは、この、「神の子」でありながら「私たちと同じ」方が、十字架の贖(あがな)いの主であることを心に刻まねばならない。*イエスが自ら、与えられた「道」を選び取るとき、神もまた、聖霊の賜物と愛を注がれる。この神の「愛する子」であるイエスへの信頼と服従によって、私たちもまた「神の子」となることを喜びの内に味わいたい。
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