2011年05月29日

5月29日 信仰に報いる主

信仰に報いる主
ルカによる福音書 7章1-10節

7:01イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。 7:02ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。 7:03イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。 7:04長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。 7:05わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」 7:06そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 7:07ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。 7:08わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 7:09イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」 7:10使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。


*「百人隊長」5、9節から見て異邦人、ヘロデアンティパスあるいはピラトに仕える百人隊の隊長で、千人隊長に次ぐ地位の職業軍人。*3―5節はマタイ版にはなく、たぶんルカが設定した状況。*6―8節。イエス一行が家に近付くと、百人隊長は再び人を遣わす。「わたしも権威の下に置かれている」彼の言葉は部下に対して権威をもつ。このことで、イエスと彼の言葉の権威への信頼を告白している。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

5月22日 わたしが選んだ

わたしが選んだ
ヨハネによる福音書 15章12-17節

*15節。奴隷は仕事の理由付けも目的も知らされないままに仕事をしなければならない。主人に強制され道具として用いられる。弟子たちはここで何のためにイエスが彼らを必要とされたかを知っているものとして自発的な、自由な奉仕をするのである。*1ヨハネ3:16はこの13節の聖句を正しく解釈し、「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」と記している。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする

2011年05月15日

5月15日 イエスの問い

イエスの問い
ヨハネによる福音書 6章34-40節

 永遠の命を与えられるということは、イエスにおける新しい創造によって「神の似像」を回復し、人格性を取り戻すことである。それは人間の自由と責任との関係に関わっている。*群衆の願いに対するイエスの答えは単純ではない。イエスを命のパンだと信じるか否か、という人格的応答性が問われているのである。信じなければ命のパンを得ることにならないのである。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

5月8日 よく見なさい

よく見なさい
ルカによる福音書 24章36-43節

エマオの道で復活のイエスに出会った二人の弟子は、主のお姿が見えなくなった後、急いでエルサレムに戻る。そして11人とその仲間が集まっている所に行った。そこで自分たちに起こったことを報告した。そんな所に復活のイエスが来てくださった。しかし、復活のイエスに出会ってもなお、彼らは亡霊を見ているのだと思った。

posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

5月1日 ルカによる福音書 24章13-35節

ルカによる福音書 24章13-35節

墓が空であったという報告を聞いた者たちは、喜びをもって主のよみがえりを信じたのかというと、どうもそうではないようだ。何か不思議なことが起きているのではないかとの思いはあったかもしれないが、それが喜びあふれる復活信仰へと向かわなかった。復活されたイエスが彼らと出会ってくださるまでは。今日のみ言葉に出てくる二人の弟子は、12使徒ではなかった。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。