2011年06月26日

6月26日 理想的な信者の生活

理想的な信者の生活
使徒言行録 2章37-47節

2:37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。2:38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。2:39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」2:40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。2:41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。2:42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。2:43すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。2:44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、2:45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。2:46そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、2:47神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

*37-42。悔い改めと洗礼の勧告。38-39。ペトロは@悔い改めAイエス・キリストの名による洗礼の勧告B罪の赦しC聖霊の賜物を約束する。この約束は《あなたがた》ユダヤ人にも《遠くにいるすべての人》異邦人にも与えられる。41節でペトロの説教は終わる。42。原始教会の理想的な敬虔が描かれている。@使徒の教えは3−4章A交わりは、「援助」「奉仕」「施し」による交わりBパン裂きは、共同の食事で、愛餐と聖餐が一緒になっていた原始教会の理想的な食事C祈りはユダヤ教の敬虔の一つ。
*43-47。信者の生活。この箇所は、42節とともに、原始教会で行われていた理想的な信者の生活を報告するルカの「まとめの句」で4:32-35の「まとめの句」に並行している。47。《主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた》とは、教会の創立者は主であることの宣言である。
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2011年06月19日

6月19日 教会が語ること

教会が語ること
使徒言行録 2章22-36節

2:22イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。 2:23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 2:24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。 2:25ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。 2:26だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。 2:27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。 2:28あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』 2:29兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。 2:30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。 2:31そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、
その体は朽ち果てることがない』と語りました。 2:32神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。 2:33それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。 2:34ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。 2:35わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』 2:36だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」

*22-24。イエス証言の陳述 22。「奇跡と不思議な業としるし」。これらの語は、一般的に<奇跡>といわれ、驚き、狼狽などを引き起こす現象である。イエスの奇跡行為は、彼が神から遣わされた認証である。23。イエスは神の計画によって、あなたがたユダヤ人に引き渡されたが、あなたがたは彼を殺害した。24。しかし神は、彼を「死の苦しみ」から解放させられたので、ルカによる福音書には、マルコ15:34の「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」がない。イエスが死と同時に「楽園にいる」(ルカ23:43)からである。
*25-36。イエス証言の論証。 25-28。詩編16:8-11からの引用はイエスの「死の苦しみ」からの解放、つまり彼の復活の論証となり、31bc詩編16:10からの引用も「キリストの復活」の論証となる。34cd詩編110:1からの引用は「神の右に上げられ」た高挙者キリストの論証となる。こうして、高挙のメシアは父から受けた約束の聖霊を注ぐ。これが多言奇跡・異言の説明である。36。ペトロ説教の結論。あなたたちユダヤ人はイエスを十字架につけて殺したが、神は彼を「主とし、またメシアとなさった」。イエスは誕生に際して「主メシア」(ルカ2:11)と呼ばれ、洗礼の時に神の「子」(ルカ3:22)と言われ、復活によって神の「子」(13:33)と証明され、高挙によって「主、メシア」と認証されたのである。
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2011年06月12日

6月12日 激しい風の音

激しい風の音
使徒言行録 2章1-11節

2:01五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2:02突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。2:03そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。2:04すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。2:05さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、2:06この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。2:07人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。2:08どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。2:09わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、2:10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、2:11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

*旧約では聖霊の降臨は、神の預言の成就であるが、ルカ文書では復活の主の約束の成就である。聖霊が降り、原始教会が設立される。一同は聖霊に満たされ、かつてはディアスポラ出身、当時はエルサレム在住のユダヤ人やユダヤ教への改宗者たちに、神の偉大な業を語った。*2-3.。「風」「炎」「現れ」は旧約では具体的な神顕現の意。「風」はその同義語「霊」の降臨を、「舌」はその同義語「言葉」を予期する。*「五旬祭」はギリシア語「ペンテーコステー」(「第50」の意)。
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2011年06月05日

6月5日 生きる力・復活

生きる力・復活
マタイによる福音書 28章16-20節

28:16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 28:17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 28:18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 28:19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 28:20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」


*物語の場面はガリラヤに移る。ここでのガリラヤは4:15と対応し異邦人伝道の開始点としての意味をもつ。ユダの自殺によって弟子たちは11人となったが、彼らはそろってイエスから指示された「ガリラヤ」に赴いた。*17。イエスに会って「ひれ伏した」弟子たちは、一方で「疑う者」であった。「ひれ伏し」は礼拝を意味する語である。また疑ったのは彼らの一部というより、原文では、全員が礼拝しつつ同時に疑いを持つ者であったと解し得る。
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