2011年08月28日

8月28日 信徒日礼拝

信徒日礼拝

本日の礼拝は信徒日礼拝で2名の方が証しをされました。北六甲教会は長らく礼拝で信徒の証しを聞くことがなかったのですが、本日2名の方より自らの生活から感じた神の証しを聞くことが出来、大変良かったと感謝しています。教会は器ではなく集まった人によってつくられるものだと思わされました。

牧師が選んだ今日の言葉

ある兄弟が師父マトエスに尋ねた。「僕はどうすりゃいいのでしょう。舌が禍おこすのです。人々と共に居るとすぐ、自分で制御がきかなくなって、人の善意に文句をつけ、すぐに批判にまわりだす。そんなわけです、どうしましょう」。  これに答えて老師がいった。「もし君が自分を制御できないならば人々を避けて出て行って、どこかで独りで暮らしなさい。君は弱点かかえてるから。人々と共に暮らすなら真四角でなく、丸くあらねばなりません。そうすれば誰の元へも転がれる」。さらに老師はこういった。「わしが独りで暮らしてるのは徳が高いからでなく、わしの弱さのせいなのさ。他人と暮らして行けるのはほんとは強い人なのだ」。(「砂漠の知恵―砂漠の師父母の言行録」より)
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2011年08月21日

8月21日 わたしの隣人とは

わたしの隣人とは
ルカによる福音書 10章25-37節

10:25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」10:26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、10:27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」10:28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」10:29しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。10:30イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。10:31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:32同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:33ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐に思い、10:34近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。10:35そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』10:36さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」10:37律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

*25-29。イエスは律法学者の問いに答えず、問いをそのまま彼にかえし、自答させる。二重の愛(神への愛と隣人への愛)を内容とする律法学者の答えはユダヤ教の中核を成すものとして、イエスはこれに同意し、その実践を促す。《自分を正当化しようとして》直訳すると「自分を義としようとして」《隣人とはだれですか》と隣人の定義を求める。ユダヤ教では隣人は基本的に民族同胞に適用される概念。イエスは隣人について「定義」せず、「物語」る。
*30-37。最初に現場にやってきた祭司は《その人を見ると、道の向こう側を通って行った》もしその人が死んでいたとすれば、死体の汚れに触れないことは祭司の義務であったから。とすれば、彼はまず司祭としての職務に忠実であったということだ。レビ人は祭司の下位にあって補佐的に神殿奉仕などの宗教的務めをする部族。サマリア人は《そばにくると、その人を憐れに思い、近寄って傷(乃手当てをし、)宿屋に連れて行った》うえ、自分は旅を続けなければならないのに、その後のことにまで配慮する。ここには民族や宗教の相違を超えた愛が、隣人観における{内}と「外」を超えた隣人愛が語られている。「隣人とは誰か」ではなく「誰がその人の隣人となったか」と問われたゆえんである。イエスは再び、彼の正しい答えを実行するように促す。
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2011年08月14日

8月14日 苦難の共同体

苦難の共同体
ルカによる福音書 9章51-62節

9:51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。9:53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。9:54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。9:55イエスは振り向いて二人を戒められた。9:56そして、一行は別の村に行った。9:57一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。9:58イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」9:59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。9:60イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」9:61また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」9:62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた

*55イエスは弟子たちを戒める。イエスは彼を拒む人々の所を去り、別の所に行く。裁きは終末の時に、神に属する。イエスは弟子たちの力の乱用を戒める。
*57-62三人に共通するイエスに《従う》テーマ。57-58第一の人は自らイエスが行くところならどこにでも従うことを志願。しかし、イエスは狐や鳥ですらねぐらをもつが、おのれが枕するところのない旅人であることを告げ、彼の志願を取り合わない。
*59-60この人にはイエスは《わたしに従いなさい》と呼び掛ける。彼はイエスに従う気持ちをもっているかもしれないが、その前にまず父を葬りに行かせてほしいと言う。これはユダヤ教社会の家族にとって何ものにも優先されるべき義務。
*61-62第三の人も弟子志願者。第一の人と異なり、イエスを《主よ》呼ぶ。彼はしかし、まず家族へのいとまごいをさせてほしいと願う。
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2011年08月07日

8月7日 人生をはかるはかり

人生をはかるはかり
ルカによる福音書 6章27-36節

6:27「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。6:28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。6:29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。6:30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。6:31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。6:32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。6:33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。6:34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。6:35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。6:36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

*27はルカ版のみに見られる。愛敵の教えは教えの一項目ではなく、基本テーマ。
*《悪口を言うものに祝福を祈る》、29《頬を打つ者には、もう一方を向けよ》《上着を奪い取る者には、下着をも……与えよ》これらの《敵》に対して愛をもって応えよとの教えは愛敵の教え(27)の具体例である。愛敵の具体例はこれら三例に限られるものではなく、イエスの弟子たちにも、ルカの読者たちにも、今日の我々にも他に様々の具体例があり得る。
*《あなたがたの父が憐れみ深いように》愛を人間の行動様式に限定するのではなく、我々に憐れみ深く関わりたもう愛の神に倣う者であること。
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