2012年01月29日

1月29日 イェスはよく知っておられる

イェスはよく知っておられる
列王記上 8章22-30節
ヨハネによる福音書 2章13-25節

8:22ソロモンは、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして、8:23祈った。「イスラエルの神、主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみを注がれる神よ、8:24あなたはその僕、わたしの父ダビデになさった約束を守り、御口をもって約束なさったことを今日このとおり御手をもって成し遂げてくださいました。8:25イスラエルの神、主よ、今後もあなたの僕ダビデに約束なさったことを守り続けてください。あなたはこう仰せになりました。『あなたがわたしの前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、わたしの前を歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を断たず、わたしの前から消し去ることはない』と。8:26イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。8:27神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。8:28わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。8:29そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。8:30僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。

2:13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。2:14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。2:15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、2:16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」2:17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。2:18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。2:19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」2:20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。2:21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。2:22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。2:23イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。2:24しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、2:25人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。

イスラエルの民がバビロニアの捕囚からエルサレムに還った後に再建した神殿はソロモン王が建てた神殿と比べると、比べるのも恥ずかしくなるくらい見劣りするものであった。昔の神殿を知る民からすれば自分たちのバックボーンが頼りないものと思えてしまう感があったのだろう。以来この神殿を何とかしたい、かつての荘厳な神殿をもう一度という思いがイスラエルの民の中にあったと想像される。ユダヤの王であることを人民にアピールしたいヘロデ王にとって神殿再建は有効な政策であったのでしょう。紀元前20年くらいから始まったこの神殿再建は今回の物語の時点ですでに46年の歳月がたっており、ユダヤの民にとってこの神殿を壊すことは到底出来ることではなかった。しかしイエスはその神殿を壊せという。人が自分たちの拠り所とするものを一度壊し、そこに新たな神殿=イエスを建てることが必要だとヨハネは私たちに語りかけてくる。
現代に生きる私たちも本当にイエスに拠り頼む生き方が出来ているのであろうか。
                           (本日の説教より感じた事です)
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2012年01月22日

1月22日 宣教の開始

宣教の開始
ヨハネによる福音書 2章1-11節

2:01三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。2:02イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。2:03ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。2:04イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」2:05しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。2:06そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。2:07イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。2:08イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。2:09世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、2:10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」2:11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

*ヨハネによる福音書によればイエスの公的活動はこの「カナの婚礼におけるぶどう酒の奇跡」をもって開始する。*今日のところでは「三日目に」、「わたしの時」、「弟子たちはイエスを信じた」という言葉と、水がぶどう酒に変わる奇跡(「最初のしるし」)が示すことに注目したい。*11節の結論部分、「しるし」「栄光」「信仰」。しるしは、信仰の目をもって見る者に受肉者キリストの栄光を示しだす。信仰はその目をもって受肉者のしるしの中にその栄光を見つつ、信仰から信仰へと進む。
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2012年01月15日

1月15日 最初の弟子たち

最初の弟子たち
ヨハネによる福音書 1章35-42節

1:35その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。1:36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。1:37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。1:38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、1:39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。1:40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。1:41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。1:42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

*今日のところでは「見る」という言葉(これは原語では四つの言葉を用いている)と「泊まる」という言葉(原語では「留まる」の意味)に注目したい。「見る」ということは、肉眼で見るとか、表面的な意味で見ることと、真に見ることとは区別されている。ここでは「見る」ことが強調されているが、20:29では、「見て信じる」ことより、「見ないで信じる」ことが大切だとされている。
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2012年01月08日

1月8日 わたしに近づく神

わたしに近づく神
ヨハネによる福音書 1章29-34節

1:29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。1:30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。1:31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」1:32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。1:33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。1:34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

*29.《神の小羊》は、特に《世の罪を取り除く》という形容詞を伴っている。過越祭の中で小羊が担わされている事柄は、かつて出エジプトの時に小羊の血が鴨居に塗られ、神の怒りがイスラエルの先祖たちのテントを過ぎ越したところから、人間の罪を贖う力を象徴していると理解される。《見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ》イエスの十字架の贖罪によって世と世に属する人々が救われることが伝統的な小羊という語との関連で宣言されている。
*30.キリスト証言に続く《「わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである」とわたしが言ったのは、この方のことである。》は、明らかに15節を指し、キリストの先在性に触れ、言が受肉したのはナザレ人イエスであることを裏書している。                (「新約聖書注解」より)
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2012年01月01日

1月1日 神を示すひと

神を示すひと
ヨハネによる福音書 1章14-18節

1:14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。1:15ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」1:16わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。1:17律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。1:18いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。


*この福音書においては、ナザレ人イエスを神と告白することが究極の目的であり、読者達がこの福音書を読了した時には、20:28のトマスと共に《わたしの主、わたしの神よ》と告白することに至ることが期待されているのである。   (「新約聖書注解」より)
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