2009年02月15日

2月15日 《差別者》イエス

《差別者》イエス
マタイによる福音書14章22〜36節

「イスラエルの失われた羊」でない者が、「イスラエルの羊飼い」=王の前に膝を屈め、癒しを求めて憐れみを乞う。「羊飼い」はこの「よそ者」をもその翼を広げて覆い包まざるを得ない。それは「おこぼれ」の恵みだ。だがその「おこぼれ」にさえ(こそ?)どれほどの恵みがあることか。*「おこぼれ」が、イスラエルの庇護の元に身を寄せる人たちの生きる支えとなる、という図は、「落ち穂拾い」を思わせる。刈り入れの恵みは取り尽くしてはならない。貧しい人が後から来てそれを集め生きることができるように、と律法に書かれている。*神の憐れみ=ヘセドの真骨頂は、その「おこぼれ」を拾わざるをえない人たちの内にもたらされる癒しと安らぎだ。*お前の取り分はここにはない、と一度は拒否された者が、それでは「おこぼれ」を這いつくばって拾うこも辞さない、と覚悟を決める時、「おこぼれ」こそが正真な恵みの徴となる。そして「よそ者」を拒絶した「王」は、自分が切り捨てたものの中にこそあった「神の恵み」に畏怖し回心することだろう。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年度 10〜3月 | 更新情報をチェックする
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