2009年06月28日

6月28日 私のとなりびととは誰のことですか

私のとなりびととは誰のことですか
ルカによる福音書 10章25節-37節

この律法学者は相当焦ったに違いない。あなたの答えは全く正しいと、このナザレ出身の流しの説教者にするりと受け容れられて。*自己正当化に汲々とするとき、私たちは大抵自分の墓穴を掘る。この律法学者もそうだ。自分で仕掛けた「罠」に自分で嵌りに行くのだ。*「私の隣り人は誰か?」という問いは、なんとも自己中心的な問いだ。自分は世界の真ん中に立って辺りを見回し、自分の「隣り人」に値する存在を捜そうというのだから。*イエスは「だれがこの痛む人の隣り人になったのか」と問う。それは私たちを安穏な「自分の城」から引きずり出し、今この世界で踏みしだかれ、傷つけられているあらゆる小さい命の視点と価値観の中に自分を晒すことを要求する。*イエスは私たちの隣人となるためにこの世に来られた。だから、イエスに従う信仰の群れもまた、「同じように」振る舞い、生きるのだ。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009年度 4〜9月 | 更新情報をチェックする
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