2010年01月24日

1月24日 新しい教え

新しい教え
マルコによる福音書 1:21-28

カファルナウム(「慰めの村」)はガリラヤ湖畔の町で、マタイ福音書では、イエスはこの街を「自分の街」だとさえ言うほどに親しんでいたようだ。*地方首都のティベリアスと比べると小規模で、ローマ帝国とユダヤ神殿税などの複数の税の取立てに喘ぐ貧しい人が住民の大半を占めるこの街には、イエスの生活感覚と同じ日常があったのだろう。その場所でイエスは「律法学者のようではなく、権威あるもののように」教え、振舞った、という。*律法学者は、過去の碩学のことばを縦横無尽に引用し、自分の引用するその碩学の名前や引用の数で自らの解釈の正しさを競ったようだが、イエスはそうしない。彼は、誰の解釈の引用だとも、どの学派の仕来りだとも言わずに、直接に預言者たちの言葉を聴き、味わい、感じ、そして行動する「教え」を掲げた。*「新しい教え」は、神の言葉に傾聴し、その促しに柔軟に向き合うものの心に実体化する。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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