2010年03月21日

3月21日 牧師は僕師?!

牧師は僕師?!
マルコによる福音書 10章32〜45節

ゼベダイの二人の息子たちが、イエスが「栄光を受けるとき」にその玉座の右左に座らせてほしい、と願い出た。イエスは「それは私の決めることではない」と突き放す一方で、二人がイエスの受ける苦難と同じものを担う者であることも預言する。*二人の願いは、イエスの三度目で最後の受難と復活の予告の直後に持ちかけられるのだから、イエスが言及する「私が飲む杯を飲み・・・受ける洗礼を受ける」ということが、死に至る受難を示唆することは間違いない。二人は果たして、自分が受けたいと望む「栄光」の真実の姿を理解できていたのだろうか?*イエスの受ける「栄光」は、この二人の弟子の野心とは無縁だ。それは、食事の席で、前掛けをまとい地面に膝をついて弟子の脚を洗われるイエスの姿に収斂する。*全く自由な従順と奉仕の姿勢の内に、み子の栄光は輝く。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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