2010年06月06日

6月6日 そこでも、私は宣教する

そこでも、私は宣教する
マルコによる福音書 1章29〜39節

イエスのガリラヤでの毎日はめまぐるしい喧騒の中にあった。引きもきらず、癒しを求めてやってくる人たち、イエスの話を聞こうとする人たち、そして、イエスの行う奇跡を一目みようという野次馬や、その行為や言葉を批判しようという律法学者たちに囲まれ、まさに「馳せ場」を走るイエスの姿がある。*だが、その「わやくちゃ」の中、イエスは早朝、一人で祈りに出かける。自分ひとりの時間を、いや、ただ神と向き合う時間を、彼もまた必要とした。*注ぎだし、与えるイエスを支えているのは、そうした自分の限界を自覚し、空っぽの自分をみたして下さるようにと退修して神に向かう、そのつかの間の静かな時間だ。*宣教の中心には「癒し」と「言葉」の養いがある。そしてその根源には、謙虚に神と向き合う静寂がある。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度 4〜9月 | 更新情報をチェックする
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