2010年10月03日

10月3日 想起する、愛

想起する、愛
出エジプト記 32章7-14節

「神の宣教=Missio Dei」、それは、この世界のために、神がまず先立って宣教の業を成し遂げられる、という考えだ。神ご自身が先導される業に教会が招かれ、用いられる。教会が、神とこの世の間を取り持つのではなく、神ご自身が、この世と信仰の群れの間に立って和解を成し遂げ信仰の交わりへと人々を招かれるので、教会はその「先行する救いの業」を証する務めを果たすのだ。*モーセは、神と向き合う関係に招かれながら、神の信頼を裏切った民と、怒りに燃える神の間を執り成そうとする。私たちは、この物語のどこに自らの姿を見出すだろうか。*教会は「執り成しの共同体」であるとも言われる。神と世の間、人と人との間の和解のために祈り、行動する共同体、ということだ。だが神は教会の「故に」赦しと恵みを約束されるのではない。ご自身が愛し選んだ民の誠実を想起する愛によってのみ和解は実現する。教会はこの神の忍耐と想起の愛を記憶し、語り継いで証しすることにおいて神の宣教に参与する
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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