2010年10月10日

10月10日 毅然として

毅然として
ダニエル書 3章13-26節

ダニエル書は、有体(ありてい)にいうと「偽預言書」だ。バビロニア捕囚期、ネブカドネザル王の時代を装って、実はペルシャ帝国のエピファネスの下でのイスラエル民族の苦難を描いているのだ。迫害が将に頂点に達して、今、将に神の裁きが下る直前であるとの終末待望が、この「殉教物語」の背景にある。*物語は「偶像礼拝」を巡る対立を軸に展開する。暴君は自らを神として拝むよう強要し、王の家臣として生きるイスラエルの若者三名はそれを拒否する。和解の道はありえない。*圧倒的な権力を握る為政者が、「神の民」の殺生与奪の権限を掌握している。しかしその権力の前に、「神の民」は、安易な服従の道を選ばず、却って大変高価な犠牲=命という代価を払ってでも自らの忠誠がどこにあるのかを示す。*物語は、殉教を礼賛・推奨している、と言って良い。しかし、今日的な文脈では、そしてやはり教会の信仰のあり方として、「死」の礼賛を福音とすることはできない。私たちは、この三人の若者が「生きて」燃え盛る炉から出てきたという、所に一層の注目を置かなければならない。*死の只中にも活路を開く、命の神、活ける神がおられる。だから、毅然として否は否、是は是と私たちは言うことが出来る。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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