棕櫚の主日から受難週が始まる。歓喜の声でイエスを迎えた人々。それが一週間もたたないうちに、イエスを十字架にという声へと変わっていく。その間に何があったのだろうか。*ルカによる福音書では、19章28節からエルサレム入城の場面が描かれている。今日のみ言葉までにエルサレムでイエスがなされたこと、そのことによってイエスを殺す計画が立てられ、その準備がなされる。同時にイエスは弟子たちと最後になる晩餐の時をもたれる。ということが語られている。*人間の心というのは実に不思議で面白いものだと思う。自分でも理解しがたい部分をもち、自分でも制御しきれない部分をもつ。そこに罪・誘惑が入り込む機会を作ってしまうのだろうか。
2011年04月17日
4月17日 ルカによる福音書 22章39-53節
ルカによる福音書 22章39-53節
棕櫚の主日から受難週が始まる。歓喜の声でイエスを迎えた人々。それが一週間もたたないうちに、イエスを十字架にという声へと変わっていく。その間に何があったのだろうか。*ルカによる福音書では、19章28節からエルサレム入城の場面が描かれている。今日のみ言葉までにエルサレムでイエスがなされたこと、そのことによってイエスを殺す計画が立てられ、その準備がなされる。同時にイエスは弟子たちと最後になる晩餐の時をもたれる。ということが語られている。*人間の心というのは実に不思議で面白いものだと思う。自分でも理解しがたい部分をもち、自分でも制御しきれない部分をもつ。そこに罪・誘惑が入り込む機会を作ってしまうのだろうか。
棕櫚の主日から受難週が始まる。歓喜の声でイエスを迎えた人々。それが一週間もたたないうちに、イエスを十字架にという声へと変わっていく。その間に何があったのだろうか。*ルカによる福音書では、19章28節からエルサレム入城の場面が描かれている。今日のみ言葉までにエルサレムでイエスがなされたこと、そのことによってイエスを殺す計画が立てられ、その準備がなされる。同時にイエスは弟子たちと最後になる晩餐の時をもたれる。ということが語られている。*人間の心というのは実に不思議で面白いものだと思う。自分でも理解しがたい部分をもち、自分でも制御しきれない部分をもつ。そこに罪・誘惑が入り込む機会を作ってしまうのだろうか。
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