2011年07月10日

7月10日 喜びを分け与える神

喜びを分け与える神
ルカによる福音書 15章1-10節

15:01徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。15:02すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。15:03そこで、イエスは次のたとえを話された。15:04「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。15:05そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、15:06家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。15:07言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」15:08「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。15:09そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。15:10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

*1-2。イエスがたとえを語られた状況。百匹の羊は羊飼いにとって単なる所有物ではなく、より大きな家族に属するもの。4。《あなたがたの中に》は、聞き手に自分の事柄として考えるよう訴えている。但し、羊飼いは神を表すイメージとして用いられている。さらにメシア・イエスのイメージとして。5-6。《見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて》喜びを共にしてほしいと願う。7。しかも、《悔い改める一人の罪人》は《悔い改める必要のない九十九人の正しい人》よりも大きな喜びが天にあると、社会的価値判断を逆転させる。これら《正しい人》がファリサイ派の人々や律法学者たちを指すとすれば、そこにはイエスの皮肉が込められている。ルカが強調する悔い改めは断食したり、悲しんだりすることより、喜びである。涙を流すとすれば、喜びの涙である。
*8。《ドラクメ銀貨》デナリオンと等価で一日の労働賃金に相当する。十ドラクメの蓄えをもつ女性が見失った一ドラクメを見つけだすまで、諦めず捜す。《ともし火をつけ》窓のない家を想像させる。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする
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