2011年07月17日

7月17日 わたしを救うわたしの信仰とは

わたしを救うわたしの信仰とは
ルカによる福音書 17章11-19節

17:11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。17:12ある村に入ると、らい病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、17:13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。17:14イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。17:15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。17:16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17:17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 17:18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」17:19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

*12《重い皮膚病》種々の皮膚病の総称(レビ13章)。《十人の人が出迎え、遠くの方に立って》重い皮膚病にかかっている人々は汚れた者とされ、人々との接触を避けるために町の外に住まねばならなかった。(レビ13:4-46、民5:2)。彼らは集団で生活する傾向があったが、《十人》は後半で「一人」対「九人」と対照的に示すためのもの。
*14b-16 十人は祭司のところに行く途中に清められるが、《その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった》。彼も命じられるままに祭司のところに向かった。しかし彼(だけ)は途中いやされたことを知って、引き返し、《イエスの足もとにひれ伏し》た。そして、神への讃美はイエスへの感謝として、イエスの奇跡行為の本来の意味が彼の中に生きて働いている。彼は肉体と心を含めて全体的にいやされたのである。
*17-18 イエスはユダヤ人の立場から彼を《外国人》(18)と呼ぶが、イエスとサマリア人の間では民族や民族宗教としてのユダヤ教を超えた関係が実現している。イエスがエルサレムへの旅の最初にサマリア人の村に入ったとき(9:52)、彼らはイエスがエルサレムに向かっていたために、彼を迎え入れなかった。19しかし、いまや、このサマリア人はイエスを迎え入れ、ユダヤ人に対しても、信仰のモデルとなっている。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度4〜9月 | 更新情報をチェックする
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