2011年10月09日

10月9日  富からの自由

富からの自由
ルカによる福音書 16章1-13節

16:01イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。16:02そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』16:03管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。16:04そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』16:05そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。16:06『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』16:07また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』16:08主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。16:09そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。16:10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。16:11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。16:12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。16:13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


*たとえは1−9節で一つの単位を成す。10−13節は、たとえの付加部分としての富についての教えである。
*1−2。たとえは特に弟子に対してだが、ファリサイ派の人々も聞いている。「無駄使いする」という動詞は、管理義務を怠っているか、横領しているかの場合に該当する。3-4。管理人の独り言において、家がなくて雨ざらしになりかねない物乞いになるという想像から、家への魅力に心を惹かれて白昼夢に耽っている中に、自分を家に迎えてくれる人々に思い当たる。しかしこの句《管理の仕事をやめさせられても(やめさせられたとき)、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ》は、このたとえの中心を成す。この文はたとえの結びの句で繰り返される《金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる》ように、《友達を作りなさい》(9)に対応する。そして以下(5−7)は、彼を家に迎えてくれるような者たち(友達)を作る具体的な方法の実行である。
(「新約聖書注解」より)
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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