2011年11月27日

11月27日 神が定められる時

神が定められる時
ヨハネによる福音書 7章25-36節

7:25さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。7:26あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。7:27しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」7:28すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。7:29わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」7:30人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。7:31しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。7:32ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。7:33そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。7:34あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」7:35すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。7:36『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」

*エルサレムの住民のイエスに対する不安は、彼がメシアかどうかに関わっている。ユダヤ教が抹殺しようとしているイエスが真にメシアか、という問はイエスの生前にも、一世紀末のこの福音書の最初の読者の状況でも、共通した課題であった。34節。見つけることも来ることもできない神のみもとがイエスの出生の場所であるとの開示。
(「新約聖書略解」より)
*イエスが放置されていることについて、この議員たちも《この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか》(26)という問いかけがされている。この問いは、そのまま肯定につながるのではなく、32節以下ではイエス逮捕のために祭司長たちとファリサイ派の人々は《下役たちを遣わした》。しかもエルサレムの人々もイエスのメシア性を容認しているわけではない。27節。人間が自己の知識を誇り過信するとイエスについての判断を誤ることになる。
    (「新約聖書注解」より)
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/237282546
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。