2012年04月22日

3月4日 救い主への信仰

救い主への信仰
列王記下 6章8-17節
ヨハネによる福音書 9章13-41節

6:08アラムの王がイスラエルと戦っていたときのことである。王は家臣を集めて協議し、「これこれのところに陣を張ろう」と言った。6:09しかし、神の人はイスラエルの王のもとに人を遣わし、「その場所を通らないように注意せよ。アラム軍がそこに下って来ている」と言わせた。6:10イスラエルの王は神の人が知らせたところに人を送った。エリシャが警告したので、王はそこを警戒するようになった。これは一度や二度のことではなかった。6:11アラムの王の心はこの事によって荒れ狂い、家臣たちを呼んで、「我々の中のだれがイスラエルの王と通じているのか、わたしに告げなさい」と言った。6:12家臣の一人が答えた。「だれも通じていません。わが主君、王よ、イスラエルには預言者エリシャがいて、あなたが寝室で話す言葉までイスラエルの王に知らせているのです。」6:13アラムの王は言った。「行って、彼がどこにいるのか、見て来るのだ。わたしは彼を捕らえに人を送る。」こうして王に、「彼はドタンにいる」という知らせがもたらされた。6:14王は、軍馬、戦車、それに大軍をそこに差し向けた。彼らは夜中に到着し、その町を包囲した。6:15神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。」6:16するとエリシャは、「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言って、6:17主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。

9:13人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。9:14イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。9:15そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」9:16ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。9:17そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。9:18それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、9:19尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」9:20両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。9:21しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」9:22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。9:23両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。9:24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」9:25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」9:26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」9:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」9:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。9:29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」9:30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。9:31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。9:32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。9:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」9:34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。9:35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。9:36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」9:37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」9:38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、9:39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」9:40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。9:41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

見るということは人間が情報を得る手段としては非常に大きいものです。聖書にはしばし目や耳の不自由な人が描かれています。当時の世界では病や障害は神からの罰(罪の報い)として考えられていたこともあり、彼らは非常に虐げられた存在でした。彼らが癒されるということは罪を赦されると言うことであり、ファリサイ派の人々や祭司長からすると信じられないことだったのでしょう。自分の理解の範疇を超えたものとであったとき、それをなかなか受け容れられず、なんとか自分の常識の中に押さえ込もうとしてしまいます。それができない時はその出来事を拒絶してしまうものです。
現代に生きる私たちも、自分たちの常識からはずれたことをなかなか理解できません。正に「見えていない」状態なのです。イェスによって見えるようになること、それを受け容れられるようになることができますように。
                                 (BY deacon I.N.)
posted by MATSU at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011年度10〜3月 | 更新情報をチェックする
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