2012年06月17日

4月8日 復活の主にお会いして

復活の主にお会いして
ヨハネによる福音書 20章1-18節

20:01週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。20:02そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」20:03そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。20:04二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。20:05身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。20:06続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。20:07イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。20:08それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。20:09イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。20:10それから、この弟子たちは家に帰って行った。20:11マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、20:12イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。20:13天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」20:14こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。20:15イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」20:16イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。20:17イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」20:18マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

マリアから墓が空になっていることを聞いたとき弟子たちはどういう思いであったのであろうか。ヨハネによると、この時点ではペトロ達はイェスの復活を理解していないと記述しています。では、空になった墓を見て、ペトロは何を思ったのでしょうか、そしてもう一人の弟子はその情況で何を信じたのでしょうか。たぶん彼らは墓が空になっているという事実だけを理解したのでしょう。そこにはマリアが抱いたような悲しみもなく、ましてや、イェスが復活したかもと言うようなことは微塵も思っていなかったのでしょう。
一般的に考えた場合弟子たちの取った行動は自然なものであり、自分が同じような場面に出くわしたとき同様の行動を取ってしまうのではないかと思ってしまいます。彼らの中ではイェスは既に死んでおり、遺体となったイェスが誰かによって持っていかれたという疑問だけが現れています。対してマリアの中でイェスは過去の人ではなく、今もその心の中の多くの部分を占めていたのでしょう。だからイェスは復活後、最初にマリアに現れたのではないでしょうか。
                              (BY Deakon I.N.)
posted by MATSU at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 2012年度 4〜9月 | 更新情報をチェックする
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