2012年06月17日

4月15日 復活の主を見て

復活の主を見て
ヨハネによる福音書 20章19-31節

20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20:20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。20:21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」20:22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。20:23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」20:24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。20:25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」20:26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20:27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」20:28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。20:29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」20:30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。20:31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 ヨハネ福音書が、そう記してはいないのですが、福音書が人々の目に触れるようになってから、ずいぶん早い時期に、トマスのことを「疑い深いとマス」と呼ぶようになったようです。12弟子の中で一番疑い深い。疑い深いというのは、信仰が弱いということです.しかし、疑い深いのはトマスだけでしょうか。わたしたちがトマスの立場におかれたら、どう行動するでしょうか。わたしたちも復活の主にお会いしたいと思うでしょうし、会って信じたいと願っているのではないでしょうか。ただ人の言葉を聞いているだけでは、どうも納得できないのではないでしょうか。
 復活された主の肉体は、傷ついたままの肉体でした。その復活された主に会ったトマスは、その傷を見たとき、傷に触れることなく、思わずひざまずいて告白せざるを得なかったのでしょう。
 一番疑い深い、一番信仰が弱いトマス、そのトマスが、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白することができ、そこに教会の信仰の告白の歴史が始まったといえるのです。
posted by MATSU at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 2012年度 4〜9月 | 更新情報をチェックする
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