2012年06月17日

4月22日 復活の主の愛に生きる

復活の主の愛に生きる
ヨハネによる福音書 21章1-14節

21:01その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。21:02シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。21:03シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。21:04既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。21:05イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。21:06イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。21:07イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。21:08ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。21:09さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。21:10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。21:11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。21:12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。21:13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。21:14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

この聖書箇所の前の部分(先週の日課)でイェスは弟子達の前に姿を現し、弟子達もそれを信じている。しかし、しかしである。折角イェスが復活して現れているのに弟子達の取った行動がこれである。復活と言う驚愕の事実(神の業)を前にしても弟子たちは、まだ宣教の行動を起こしていない。これをどう考えればいいのか。宣教ではなく日常の生活(漁に出る)をおこなう弟子達、しかしその結果は成果がない。そこへイェスが現れその言葉どおりにすると魚が網いっぱいに取れた。ただ日常生活を送っているだけではダメということなのだろうか。
自分を振り返ってみる。イェスの復活を信じているか・・・。信じていると思っている。では、そのことを中心に置いて生活しているか・・・。していない!?。あぁ、弟子たちと何も変わらないではないか。弟子たちは三度の出会いの後、宣教へと出て行く。私は一体何度出会うまで留まっているのだろうか。
                          (BY Deacon I.N.)
posted by MATSU at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 2012年度 4〜9月 | 更新情報をチェックする
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