2008年02月17日

2月17日 見いだされて

見いだされて
コリントの信徒への手紙I 12:18-27

「この目さえ見えたら!」この青年の「見える」ことへの渇望をイエスは見逃さない。必死の求めに応える温かい眼差しがここにある。*だがこの青年を取り囲む他の視線は冷たい。人々は青年を「物乞い」として見、弟子たちも彼の葛藤など一顧だにせず、彼の負う痛みを律法解釈で合理化する視線を向ける。律法学者に至っては「見える」青年の存在を完全否定。*だが事実は単純だ。「イエスが私の目を開いた、だから私は見える」。ただそれだけ。*神の愛の眼差しに見出され、それ故に神の救いを、そして新しい自分を見出したこの青年に、今私たちは見つめられている。その眼差しに真摯に応えることができるか。
posted by MATSU at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年度 10〜3月 | 更新情報をチェックする
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