2011年11月06日

11月6日 まことの王のために

まことの王のために
ルカによる福音書 19章11-27節

19:11人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。19:12イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。19:13そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。19:14しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。19:15さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。19:16最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。19:17主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』19:18二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。19:19主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。19:20また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。19:21あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』19:22主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。19:23ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』19:24そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』19:25僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、19:26主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。19:27ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」

*このたとえには二つの主題がある。第一に、《神の国はすぐにも現れるものと》思っている人々に向けられて、エルサレムにおけるイエスの死と復活によって神の国がすぐ現れるものではないことを教えている。これは原始教会の終末遅延の問題への解答ともなる。第二に、これは弟子たちとその教会へのいましめである。即ち、イエスの弟子たち(僕)は、イエスが王位をとって再来する間に、彼らが委ねられた任務を忠実に果たすようにとの教えである。     (「新約聖書注解」より)
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2011年10月30日

10月30日 新しい人として生きる

新しい人として生きる
創世記 3章1-15節

3:01主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」3:02女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。3:03でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」3:04蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。3:05それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」3:06女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。3:07二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。3:08その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、3:09主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」3:10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」3:11神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」3:12アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」3:13主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」3:14主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。3:15お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」

*1-5中央の木の実をめぐる蛇と女のやりとり。思慮深く、小賢しい蛇との対話を通し、女は「園の中央の木の実」に魅入られていく。蛇は《死ぬことはない》という方面から語りかける。安心感を煽っておいて、ことの本質に向かう。6-7神への背反が起こる。《賢くなるように唆していた》これまでは何気なく見えたものが、今の彼女には爛々と輝くものとなった。8-13《とって……食べたのか》詰問の言葉ではなく、自己の行為の率直な告白を促す問いかけ。だがアダムは妻に責任を転嫁する。しかも《あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女》と語って、神にその原因の一端を帰す。神は女に問う。女は《蛇がだました》と答える。これも責任転嫁である。14-15「神の宣告」が、物語への登場順に下される。《呪い》は《賢い》との語呂合わせ。賢さ、小賢しさはそのあり方を間違えると「呪い」に至る。    (「旧約略解」より)
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2011年10月23日

10月23日 創 造

創 造
創世記 1章1-5節、24-31節a

1:01初めに、神は天地を創造された。1:02地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。1:03神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。1:04神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、1:05光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。1:24神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。1:25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。1:26神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」1:27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。1:28神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」1:29神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。1:30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 01:31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。

*1。独立した表題文。2。神の創造行為の際の《地》の虚無の様態と《神の霊》の切実な動きの表現。捕囚や捕囚後のイスラエルの人々の混沌とした状態がこの叙述と重なる。この無秩序な状態に対して神の創造行為がなされる。3-5。神の言葉は、それ自体が行為である。それは創造し、形成する力である。一日が日没で始まる旧約の宗教暦の反映だが、その背後には時を「闇から光へ」向かうものと位置づける観念がある。闇から光に向かうとの時の位置づけは、人間に希望を抱かせる。26-28。「かたどり、似せて」は神人間同型ということではなく、神と向き合う存在ということ。聖書において神と向き合うありかたこそ、人間の基本である。人間もまた向き合う存在として《男と女に》創造される。人間は神との関わりに生き、向き合う存在との関わりに生きるように造られている。
(「旧約略解」より)
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2011年10月16日

10月16日 主よ、どこにいますか

主よ、どこにいますか
ヨハネによる福音書 17章20-26節

17:20また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。17:21父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。17:22あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。17:23わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。17:24父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。17:25正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。17:26わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

*今日のいのり
*導きの霊よ、この日、あなた御自身の霊感的な御臨在を、わたしにおゆるし下さい。わたしの思想を照らし、暗黒を追い払って下さい。わたしを光の宮とし、すべての動機があなたの栄光で輝きますように。どうぞ、わたしのすべての願いを白衣の天使の一団のごとくならせて下さい。
*「日々のいのり」J・H・ジョエット著 日野原善輔訳
 訳者は日野原重明先生のお父さんです。
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2011年10月09日

10月9日  富からの自由

富からの自由
ルカによる福音書 16章1-13節

16:01イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。16:02そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』16:03管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。16:04そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』16:05そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。16:06『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』16:07また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』16:08主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。16:09そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。16:10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。16:11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。16:12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。16:13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


*たとえは1−9節で一つの単位を成す。10−13節は、たとえの付加部分としての富についての教えである。
*1−2。たとえは特に弟子に対してだが、ファリサイ派の人々も聞いている。「無駄使いする」という動詞は、管理義務を怠っているか、横領しているかの場合に該当する。3-4。管理人の独り言において、家がなくて雨ざらしになりかねない物乞いになるという想像から、家への魅力に心を惹かれて白昼夢に耽っている中に、自分を家に迎えてくれる人々に思い当たる。しかしこの句《管理の仕事をやめさせられても(やめさせられたとき)、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ》は、このたとえの中心を成す。この文はたとえの結びの句で繰り返される《金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる》ように、《友達を作りなさい》(9)に対応する。そして以下(5−7)は、彼を家に迎えてくれるような者たち(友達)を作る具体的な方法の実行である。
(「新約聖書注解」より)
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2011年10月02日

10月2日 神のふところへの帰還

神のふところへの帰還
ルカによる福音書 15章11-32節

15:11また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。15:12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。15:13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。15:14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。15:15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。15:16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。15:17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。15:18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。15:19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』15:20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。15:21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』15:22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。15:23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。15:24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。15:25ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。15:26そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。15:27僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』15:28兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。15:29しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。15:30ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』15:31すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。15:32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

*このたとえには三つの主題があり、その中の一つに軸をおいて他の二つがこれに従属する。軸は父たる神の罪人に対する大きな憐れみであり、惜しみなき全く寛大な愛情である。人間(罪人)の側からのいかなる小さな権利も功績にも関係のない神の側からの全く一方的な愛情である。第二にそのような憐れみに対する放蕩息子の改心である。第三に、遊んで父の財産を失った息子への父の惜しみなき愛に対する「日頃正しく振舞い、父のためにせっせと働く兄のふてくされ」の不当さである。
*兄が《あなたのあの息子》と言ったのに対して、父は《お前のあの弟》と答える。
                        (「新約聖書注解」より)
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