2007年06月10日

6月10日 神の園の命の木下で

神の園の命の木下で
創世記 1:31〜2:9

命の木への招き
東方正教会では復活の記念に、朽ちた枝で十字架を造り、そこに花や新芽の枝を飾って命の蘇り、希望の不滅を表現する伝統がある。人の憎しみがもたらした死が、神の愛によって命の希望となったことを心に刻むのだ。私たちが自らの手で花や枝を枯れ木の十字架に添えるとき、死の木は永遠の命の木へと変貌をとげる。
わたしたちは微力ではあっても無力ではない。私たちが作るこの「命の木」は、小さな力を併せることによって神の平和が実現することのしるしだ。
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2007年06月03日

6月3日 風にふかれて

風にふかれて
使徒言行録 2:22〜36

「イエスは神の右にあげられ、約束された聖霊を父から受けて注いでくださいました。」ナザレのイエスと神とそして聖霊との「関係性」に言及する、恐らく一番古い証言の一つであろう。
この主日は「三位一体主日」。創造主とその独り子、そして聖霊の3つの個性が、その独自性を完全に保ったままで「唯一の神」という一つの本質として存在する、その不思議に思いを馳せる主日だ。
私たちの言葉や科学、論理の限界を超えて神はみ子と共に、聖霊の風となって時間も空間も軽々と超えて行かれるのかも知れない。そんな新鮮な風に吹かれて歩みたい。
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2007年05月27日

5月27日 風のように 炎のように

風のように 炎のように
使徒言行録 2:1〜13

その出来事は激しい風の音と炎と共に起こった。聖霊が弟子たちに臨み、世界中の言葉でイエスの復活の神秘をつげさせ、神の国の到来の近いことを大胆に証させたのだ。五旬祭の日、折りしもモーセを通して十戒がイスラエルの民に与えられたことを祝う祝祭に、再び、神の言葉が、今度は石の板の上ではなく、私たち生身の人間に直接宿ったのだ。そして、この聖霊を宿したイエスの弟子たちが、イエスを救い主と信じる礼拝共同体=教会の最初の群れとなった。
今日、私たちもまた、この体に神の霊を宿し、世に大胆に証する群れとして新しくされる。
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2007年05月20日

5月20日 いつもあなたがたと共に

いつもあなたがたと共に
マタイ福音書 28:16-20

復活のイエスは弟子たちを宣教の業へと送り出す。「全ての民を弟子とし、洗礼を授け、教えよ!」興味深いのは「教える→洗礼→弟子とする」のではなく、「弟子とする=仲間の交わりに加える」→「洗礼=新しい人生に導き入れる」→「教える」という「段取り」だ。信仰共同体形成の第一歩は、イエスの食卓の仲間となり、そこから取って生きる仲間となること。その様な群れと主は「世の終わりまで」共にいてくださる。
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2007年05月13日

5月13日 ただ、ひと言

ただ、ひと言
ルカ福音書7章1−10

この時代、ローマ帝国の権威は絶対だ。理不尽な要求も応えられ服従は恩恵をもたらす。
この百人隊長はこうした権威の中間管理職らしく、人間関係と神-人間の関係を相似関係とみる。人でさえ忠誠には恩恵を与え、信頼には誠実で応える。まして神は忠誠抜きに恩恵、誠実なしに信頼を与える。ならば神の子イエスの「ひと言」が神の恩恵と聖霊の誠実によって応えられないことなどあろうか。
「世俗」の只中に信仰の智恵が輝く。


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2007年04月15日

4月15日 桜舞う道の上で

桜舞う道の上で
ルカ福音書24章13−35

「コンパニオン」とは「同伴者」という意味だが、ラテン語の語源を遡ると「共に(com-)パン(panis)を分ける仲間」という意味だ。共に食卓を囲む人生の「連れ」を意味する。
復活のイエスは、失望を抱いて故郷に向かったクレオパたちの旅の「コンパニオン」となった。そしてその時、彼らは、その同伴者を「復活の主」であると確信するのに、目で見る必要は最早なく、みことばに心が熱く燃えた、その記憶だけで充分だった。
食事を共にする仲間の交わりの中に、復活の主はおられる。
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2007年04月08日

4月8日 明けない夜のないように

明けない夜のないように
ルカ福音書24章1−12

 墓は「行き止まり」だ。命の終わり、葬りの果て。その先は、ない。
過越祭のあけた週の初めの日、ガリラヤからイエスに付き 従った女性たちもまた、その「行き止まり」に封じられたイエスの亡骸に「最後の」気遣いをしようとやってきた。しかし、彼女たちの目の前には最早「行き止まり」はなかった。
どんなに闇が深く、全てがそこで行き止る、と見えても必ず夜明けは来る。そして朝の光の中で「墓」は新しい命への開け放たれた入り口となる。
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2007年04月01日

4月1日 神の訪れの時を知る

神の訪れの時を知る
ルカ福音書19章28−44

ここにはイエスを迎える群衆の熱狂は不在だ。人々はイエスの行く道に上着を敷くが、神を賛美するのは弟子たちだけ。その弟子たちに律法学者たちは沈黙を強いる。だがイエスは、弟子たちの声を封じる力に断固抵抗する。「彼らが黙れば石が叫び出す!」
私たちは、往々にして決定的瞬間の到来を目の当たりにしながらそれを認めようとしない。時の徴を石の叫びに聞き取る研ぎ澄まされた感覚を持ち得ているかが問われている。 
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