2012年04月22日

2月26日 荒れ野の誘惑

荒れ野の誘惑
出エジプト記 17章3-7節
マタイによる福音書 4章1-11節

17:03しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 17:04モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、 17:05主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。 17:06見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。 17:07彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。

4:01さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。4:02そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。4:03すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4:04イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」4:05次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、4:06言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」4:07イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。4:08更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、4:09「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。4:10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」4:11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

*受難節第1主日にマタイによる福音書に記されている荒れ野での誘惑のところを読む。*イエスは荒れ野で誘惑する者(悪魔)から三つの誘惑を受ける。第一の誘惑は空腹という状況において、人を本当に生かすものは何か、と言う問題。第二の誘惑は神を試すこと。それは神への信頼そのものを試す問題。利用の関係は信頼関係を壊すもの。第三の誘惑は十戒の第一項への挑戦。
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2月19日 無駄にならない恵み

無駄にならない恵み
申命記  8章1-6節
ヨハネによる福音書 6章1-15節

8:01今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。8:02あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。8:03主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。8:04この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。8:05あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。8:06あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。

6:01その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。6:02大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。6:03イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。6:04ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。6:05イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、6:06こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。6:07フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。6:08弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。6:09「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」6:10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。6:11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。6:12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。6:13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。6:14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。6:15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

*「5000人に食べ物を与える」という話は四つの福音書に記されている。*イエスはなぜフィリポを試そうとされたのだろうか。またアンデレはなぜイエスとフィリポの会話を聞いていて、大麦のパン五つと魚二匹を持った少年をイエスのところに連れてきたのだろうか。そしてなぜ「こんなにも大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と言ったのだろうか。この場面でわたしだったらどうするだろうか。たぶん何もしないだろう。*イエスがここで弟子たちに、人間的な考えかたや見かた、それを超えることを言葉だけでなく、具体的に体験を通して教えてくださった。あふれるばかりの恵みが満腹感と共に12の籠に集められた残ったパン屑、目でも重さでも身体全体で感じられたであろう。
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2月12日 いやすキリスト

いやすキリスト
ヨハネによる福音書 5章1-18節

5:01その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。5:02エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。5:03この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。5:04*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。5:05さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。5:06イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。5:07病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」5:08イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」5:09すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。5:10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」5:11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。5:12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。5:13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。5:14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」5:15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。5:16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。5:17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」5:18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。

*ベトザタの池でのいやしが安息日の労働規定違反の問題になり、そしてユダヤ教とキリスト教が決裂する「神の子」理解の問題へと進む。*イエスにいやされた人の生きかたの問題性(いやされ、忠告されたのにイエスを拒む罪を犯してしまった)が示されるが、それは私たちにも問われることでは。*ユダヤ人の敵意が殺意に変わるとき。自分を神と等しい者と宣言するイエスをユダヤ教の唯一神信仰から認められないユダヤ人たち。その彼らを安易に批判することは出来ないのでは。
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2月5日 真理は自由をもたらす

真理は自由をもたらす
ヨハネによる福音書 8章21-36節

8:21そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」8:22ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、8:23イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。8:24だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」8:25彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。8:26あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」8:27彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。8:28そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。8:29わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」8:30これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。8:31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。8:32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」8:33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」8:34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。8:35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。8:36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

『自由』という言葉に私たちは何を感じるでしょうか。辞書で自由という言葉を調べてみると「自分の意のままに行うこと」「勝手気ままなこと」「他から強制・拘束・妨害などを受けないこと」「自主的、主体的に自己自身の本性に従うこと」とあります。元々『自由』と言う言葉にはプラスのイメージとマイナスのイメージの意味があったと言えるでしょう。
自分勝手なことをおこなっている状態は(本人は)自由だと思っているのですが、実は罪にとらわれた状態なのでしょう。イェスはそれは本当の意味での自由ではないと語っているのです。イェスの行動は神に囚われており人によっては自由のない生き方のように思えます。しかし旧約の時代から神は人々のすることをその力を持って強制することはありませんでした。人の意思を尊重しているのです。(その結果、よく人は道を誤り、罪を犯し、その報いを受けてはいるのですが)本当に神の意思を知ったとき人は自由になれる。イェスが歩んだ道程を私も歩んで行けたらと感じる。

                                   (BY deacon I.N.)

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