2011年12月04日

12月4日 見たこともない神を信じる

見たこともない神を信じる
ヨハネによる福音書 5章31-40節

5:31「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。5:32わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。5:33あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。5:34わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。5:35ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。5:36しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。5:37また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。5:38また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。5:39あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。5:40それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。

*聖書に関して第4福音書記者は、この《聖書はわたしについて証しするものだ》とイエスに言わせている。39節《聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している》にもかかわらず、《父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じない》、《あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない》と指摘されているように、問題は聖書を読む者の側にある。38節《あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである》。不信仰は具体的には、聖書を読んでも、その内容を受け入れないことにある。《あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証をするものだ》ということになる。言い換えれば聖書の証言はそれだけでは有効に力を発揮できず、御霊即ち、神の霊の働きによって初めて証言としての働きをなすのである。
(「新約聖書注解」より)
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2011年11月27日

11月27日 神が定められる時

神が定められる時
ヨハネによる福音書 7章25-36節

7:25さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。7:26あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。7:27しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」7:28すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。7:29わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」7:30人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。7:31しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。7:32ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。7:33そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。7:34あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」7:35すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。7:36『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」

*エルサレムの住民のイエスに対する不安は、彼がメシアかどうかに関わっている。ユダヤ教が抹殺しようとしているイエスが真にメシアか、という問はイエスの生前にも、一世紀末のこの福音書の最初の読者の状況でも、共通した課題であった。34節。見つけることも来ることもできない神のみもとがイエスの出生の場所であるとの開示。
(「新約聖書略解」より)
*イエスが放置されていることについて、この議員たちも《この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか》(26)という問いかけがされている。この問いは、そのまま肯定につながるのではなく、32節以下ではイエス逮捕のために祭司長たちとファリサイ派の人々は《下役たちを遣わした》。しかもエルサレムの人々もイエスのメシア性を容認しているわけではない。27節。人間が自己の知識を誇り過信するとイエスについての判断を誤ることになる。
    (「新約聖書注解」より)
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2011年11月20日

11月20日 この世には属さない国

この世には属さない国
ヨハネによる福音書 18章28-40節

18:28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。18:29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。18:30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。18:31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。18:32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。18:33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。18:34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」18:35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」18:36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」18:37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」18:38ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。18:39ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」18:40すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

*ローマ総督の普段の駐屯地は、カイサリアであるが、ユダヤ人の祭りの際には、騒動を防止するために、エルサレムに駐在したのである。ピラトは、紀元26年から36年まで、ユダヤ、サマリア、イドマヤを統治した人物である。新約聖書の記述によれば、優柔不断な統治者という印象を与えられるが、その実像はかなり高圧的にユダヤ人に対処した人物であった。*28-31 ユダヤ人たちは《明け方》に、イエスを総督官邸に連れて行ったが、官邸内には入らなかった。異邦人に接触することを避けたのである。すなわち《汚れないで過越の食事をするためである》(28)。中に入ろうとしないユダヤ人に対して、ローマ総督ピラトは外に出てきて、イエスの罪状をめぐって、押し問答をする(29-30)。*33節から、ピラトによるイエスの尋問が開始される。ピラトにとって重要なことは、イエスが《ユダヤ人の王なのか》どうかということである(33)。すなわち、ユダヤに頻繁に見られたローマ帝国に反旗をひるがえす政治的メシア運動の首謀者かどうかということである。イエスはそれに対して、ピラトが自分の判断でそう言うのか、他人(ユダヤ人)の言葉に動かされてそう言うのかを問いただす(34)。しかし、ピラトは、早急に決着をつけるために、イエスが《何をしたのか》を知ろうとする(35)。
    (「新約聖書注解」より)
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2011年11月13日

11月13日 人間を生かすかて

人間を生かすかて
ヨハネによる福音書 6章22-35節

6:22その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。6:23ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。6:24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。6:25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。6:26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。6:27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」6:28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、6:29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」6:30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。6:31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」6:32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。6:33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」6:34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、6:35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

*群衆は肉体の糧を求めているに過ぎないが、イエスが与えようとしているのは永遠の命に至る食物である。永遠の命を得るためには律法を守ることが常識であった群衆は、《神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか》と問う。*独り子なる神イエスを信じる以外に永遠の命を得る可能性はない。人間にできることは信じることのみである。群衆は信じるためにしるしを求める。*彼らは出エジプトのときの荒れ野の旅を想起し、彼らの先祖はマナやうずらの奇跡(出16:4-36)によって信じたと考え、同じことをイエスに要求する。イエスはモーセがマナを与えたのではなく神が与えたのだと言い、彼は第二のモーセではなく、命のパンそのものだと宣言する。     (「新約聖書略解」より)

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